かけちゃんねる2

エモいことを書く

「自分の人生を生きる」という話

 僕は自分の人生を生きたいと思っています。それは裏を返せば、他者の人生を生きないということです。ここでいう他者の人生を生きるとは、自分ではない誰かの期待を満たすように生きるということです。それは、とても苦しいことだと自分の経験から知っています。

 

 僕は一人っ子で、母子家庭で育てられました。

正確にいえば母子家庭になったのは今から4年前のことで、それは僕の父親が難病によって亡くなった年です。

しかし、幼い時から夫婦仲は悪く、ほぼ女手一つで僕を育ててくれたといっても過言ではありません。
(経済面で支えてくれた父親にはとても感謝をしています)
母親はお酒に頼って僕に子育ての悩みを打ち明けることが少なくありませんでした。

そういった環境で育ったこともあってか、気づいたら僕は、わがままを一切言わずに自分の気持ちを押し殺すことの出来る「いい子」になってしまっていました。
しかし、それには限界がきて高校2年生のときに、精神的な疲労で倒れてしまいました。
今になって振り返ると、当時の自分は無理して笑顔をつくり、周りにいる誰かの人生を生きていたと思います。

大学生になり、授業の選択やサークルの選択など自分一人で決断できる裁量が増えていき、ちょっとずつ生活が変化していきました。

今僕は大学4年生です。内定はゼロです。
就職活動をして、内定はいくつか受けていたのですが全て辞退しました。
理由は、「とりあえず親に迷惑をかけないように」と、内定をもらうことに必死になってしまい、「やってみたい仕事」ではなく「やってもいい仕事」で選んでしまっていたことに気づいたからです。
しかし、内定を辞退したことに対して後悔はしていません。それは、自分の人生を考えたうえで決断したことだからだと思います。
もし「母親に心配をかけないようにしよう」という理由で消極的な選択をしていたら、いつか母親に原因を求めてしまう日が来るかも知れません。

 

 だから、選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?を考えて、その答えが「自分」であった場合、その選択は最終的には必ず自分の意志で決断するべきだと思います。厳しい言い方にはなりますが、そこに自分以外の「他者」を介入させてはいけないと思っています。

いま僕の母親は、「あなたが決めたことなら」と応援してくれています。
将来に対する不安は少しありますが、それ以上に今僕は、自分の人生を生きているという感覚が強くあり、とても幸せです。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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