かけちゃんねる2

エモいことを書く

できそうにないことに挑戦しようという話

自分の限界を自分で決めたくない。

できそうなことに挑戦して、無難にできてしまうのは面白くない。 それよりも、自分にはできそうにないことを自らに課して、それに挑むほうが価値のあることのように思える。 所謂、無茶ぶりと呼ばれるものだ。

無茶ぶりを乗り越えたときの報酬はいくつかあって、そのひとつは自信だろう。 「自分にはできないと思っていたことができた」それは自信を生む。 これまで自分の能力には見合っていないと遠ざけていたことに対しても、もしかしたらやれちゃうんじゃないかという気持ちが湧いてくる。 そして、その自信が新しい挑戦に一歩踏み出す勇気を与えてくれる。 また実利的な面でいうと、できることが増えたのだから、次の機会を掴むための準備にもなっているのだ。

そもそも、「できる」ことに根拠もなければ、「できない」ことにも根拠のないものが多いだろう。 だとするならば、やることに特別な理由が必要だろうか。

 

ぼくは、人は自分が想像できる(夢見る)範囲でのことしか実現することしかできないと思っている。 あれやこれや挑戦してみて失敗が許されるのが若さの特権でもあると思う。 しかし、どこか世間を悟ってしまっているような人が周りに散見される(少し前までの自分がそうだったので強気に扇動できない)。 自分も含めての話になるけれど、少し大人になってしまったが為に、自分の素直な気持ちを隠してしまうことが上手くなってしまったなと思うことがある。それは凄く寂しいことだと思う。 たとえば幼少の頃は、目の前に得体のしれないの物体があったら、とりあえず手にとってみて、好奇心のままに口に運ぼうとしていたものだ。なんてクリエイティブだろうかと思う。 何が言いたいかというと、少し大人になった今、過去10年くらいを振り返ったときに、やってみる前から諦めてしまったことが結構あるということだ。 やってみもしないで、色んな言い訳を考えて自分を正当化させてやらなかったのだろう。 一度きりの人生で(しかもまだ20代で)、本当にそれでいいのかと省察している(行動に移すつもりでいる)。 しかしながら「とりあえずやってみる」というのは言うは易く行うは難しで、そのためには恐怖心を克服したり失敗が許容される環境に身を置いたり、いくつかの障壁を打ち破る必要があって簡単なことではないと思う。 しかし、何が正解がわからない時代を強かに生きていく為にも「とりあえずやってみる」のは重要だと思う。 なにごとも実験的に取り組み、プロトタイプを作ってみて、そこから適宜修正していけばいい。そしてそれが駄目ならまた別の実験を行えばいい。そうして、正解を自分で作っていくのだ。

 

就職活動(?)のため、今月から東京に拠点を移す。 恐らくこれからたくさんの軋轢が襲ってきて、なかには「こいつはなんて不遜なやつなんだ」と叩いてくるものがあるかもしれない。しかし、そういう人たちはそうやって足を引っ張ることでしか自尊心を保てない可哀想な人たちだと思っているのでこちらから願い下げだ。 いやしかし(!)、そうはいってもいつも我を通してばかりではいけない。その場その場で柔軟に対応していく能力は必須だろう。もう、そこは便利な言葉を使って「バランス」をうまくとっていかないといけない。 しなやかに、したたかに生きていきたいものだ。

 

クリエイティブ・マインドセット 想像力・好奇心・勇気が目覚める驚異の思考法

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「やればできる!」の研究―能力を開花させるマインドセットの力

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