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かけちゃんねる2

エモいことを書く

家族といっても他人でしかない

家族という関係はあまりにも強すぎる。

どうしても家族というものは「運命」というような大きなものによって創られたと思い込みやすい。 しかし、親は子どもを選んだわけでもないし、子どもも親を選べるわけでもなければ、生まれたいと望んだわけでもない。 だから、本来親子というものは家族といえども適切な距離感を保つ必要がある。 しかし残念なことに、必要以上に子供のことに口を出す親はいるし、親に気に入られることあるいは叱られないことに精一杯になっている子どももいる。

過保護な親についていうと、「これは愛情なんだ」という感情論を武器に子どもをまるで所有物かのように扱うことがあって、これはひとつの虐待の形かもしれない。 こういった親は、自分が人生でやれなかったことを子どもを利用して実現しようとすることがあって、それを押し付けられる子どもは堪ったものではないだろうなと思う。 一方、親の顔色を窺いすぎる子どもについていうと、こちらも健全ではない。なぜかというと、自分の人生を生きることができないからだ。 たとえば、親が「いい大学に行って、いい就職先に就いて欲しい」と言ったから、そのとおりにしたとして、その次に何をしたらいいかまで親にお伺いを立てるだろうか。 さらにいうなら、大学で嫌なことが会ったり、社会人として大きな壁にぶち当たったときにこう思うのではないだろうか。「悪いのは全部親だ」と。 本当は、親の期待にこたえようとし過ぎた自分が悪いのだけれど、家族といったパワーはそれを盲目にさせてしまう。 だから、すこし厳しいかも知れないが、家族とはいっても他人にすぎないということは頭の片隅にでも置いておいたほうがいいだろう。

たとえば家族の嫌なところが目に入ったり、我慢をしつづけているくらいなら物理的に家族の距離感をとってしまったほうがいいと僕は思う。 なぜなら、その会わない時間に、少し冷静に親あるいは子どもとの関係性について考えることができるからだ。 そうすると、自然と良いところも悪いところも見えてくる。そうしたあとに数年後にでも、地元の友人と会うかのように再会するといいだろう。

家族というのは素敵なものだ。そこには無償の愛があふれている。 だからこそその愛に押しつぶされる危険性も孕んでいる。 「家族だから仕方がない」と思い込んでしまっている人は、一度冷静になって、家族間の関係性について考えてみたほうがいいのかもしれない。