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かけちゃんねる2

エモいことを書く

恋愛とはありのままの自分をさらけ出すこと

Diary LifeHack

好みの異性に好かれようとすることは不幸なんじゃないかって思いますね。

相手に合わせるためには自分に嘘をつかなきゃいけないわけですよね。 着たくもないファッションに身を包んで、興味のない映画に行ってみたりしなきゃいけないわけですよ。 まあたしかに、それで自分の知らなかった世の中の面白さみたいなものに気づく可能性は否定できないですよ。 それに、好みの人の好きなものを好きになるっていうのはごく自然なことだとは思うんですね。 だって本質をいえば求めているものは気持ちのよいコミュニケーションなわけであって、それを実現するためには共通の話題が必要なんですからね。 だから、自分の趣味を広げるあるいは共通の話題を増やすという点においては相手の好みに合わせるというのは悪くないと思っています。

しかしですよ。それがよいものとして作用するには条件があって、それは上にもいったような気持ちのよいコミュニケーションが発生しうる可能性があるときに限るんですね。 つまり、自分が好んでは観ない映画をみて、それによって相手と一緒になって「もし俺たちが時間軸を飛び越えて入れ替わってしまって、そして神の導きによって電車で遭遇したりしたらどうする!?」みたいなことで盛り上がることができるのであれば、それはよいことかもしれないですよ。 でもね、世の中はそんなに甘くないですね。たとえ映画を観ても、相手が興味があるものはその映画そのものであって、自分には全く興味がないなんてことも起きるんですね。残酷なことですけどね。 ここでね、じゃあ無理してどんどん相手の好みに合わせていくかというと、それはあまりよい結果にならないんじゃないかなあと思いますね。 つまり、大事なのって、気持ちのよいコミュニケーションをとりましょうという関係性が2人の間に生じているかどうかであって、そのツールをどう選択しようが意味がないですね。 むしろ、意味がないというより、本当に自分の好きなものがわからなくなる、所謂相手に振り回されるような悲劇を生んでしまうと思うんですよね。

だから結局何がいいたいかというと、相手の好きなものを好きになることで、少しは気持ちのよいコミュニケーションが取れる可能性が上がるかもしれないですが、 それよりも、どんと構えて、相手の趣味に興味があるのと同程度くらい自分に対しても興味を持ってくれるような、そんな関係性を築くことができる相手を大事にしたほうがいいのではないかということですね。

自分の好きなもの、センス、魅力に気づかない・興味がないということは、端的にいうと相性がよくないということなのでそこに時間をかけることはあまり幸福なことではないのかもしれません。 相手に合わせて自分を偽って好かれるよりも、ありのままの自分を好いてくれる相手と出会うことのほうが何倍も幸せなのではないかと僕は考えるのでした。