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かけちゃんねる2

エモいことを書く

上手に失敗する技術を身につけるということ

職場で23歳ですって言ったら「若いね〜」って言われる。 個人的には人生のうち「今」が最も歳をとっているので若いという認識はないのだけれど、他者との関係性においては年齢は相対的なものなので、若いねと言われるのだろう。 この若さというものは、寿命までの見積もり時間が他者よりも長いという一点についてのみ優位なものであると思う。 だから、若さと、それ以外のもの(たとえば地位であったり、コネ、知識、スキル、名声など)とは分離して考えるようにしている。 つまり、若いからといって、それに甘んじてスキルがなくて当然などと自分の限界を低く設定しないようにしている。

たしかに義務教育を終えていない中学生と40代のおっさんを対等に金融資本や社会資本の観点で比較するようなことは無理矢理な気がするけれど、少なくとも大学生になったあたりからは「社会人」と対等に話ができるように必死に勉強しなければならなくて、それは自己責任だと思っている。

また、若いことは度々「失敗が許される」ということの理由として語られることがあるけれど、これも少し違和感がある。 もちろん、歳を重ねるにつれて、教わる立場から教える立場になったり、家庭を養ったりしなければならなくなって、「失敗できない」ことが往々にしてあるだろうけど、なんだかこれはつまらないなあと思う。 なぜなら、失敗しないというのは新しいことにチャレンジする活力を抑制することであって、それは新しいことにチャレンジして失敗することよりも価値があるのだろうかと思ってしまうからだ。

そう考えると、僕たち若者が学ぶべきことは上手に失敗する技術だと思う。本来それが高校や大学の担う役割なのだろうけれど、誰もその責任は取ってくれないので、社会に出てしまったボクたちは自分たちでうまくそのスキルを身に着けなければならない。 それは、リスクをとって失敗しても修復可能な程度のものなるように周りの人たちに協力してもらうことであったり、修復不可能な致命的なことがあっても社会資本を分散させているお陰で、個人のキャリアとしてはすぐに起き上がることができるようなことかもしれない。

今は若いから失敗が許されるという見方をされているけれど、仮に30歳になって調子に乗っていたら今度は「まあ、かけちゃんだからね〜」と言われるような、そんな人になりたい。

でも最近、毎日のように「冗談とはいえ失礼なこと言ってしまったなあ」とか「初対面なのに距離を詰めすぎたかなあ」などと反省している一面もあって、その反省の気持ちも一緒に未来に持っていきたいなと思っている。

P.S. 今月の30日(日)に24歳になります。