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かけちゃんねる2

エモいことを書く

【書評】『具体と抽象』を読んだ

昨日読んだ『具体と抽象』という本が面白かった。 人間は知性が発達していて、それはすなわち抽象化する能力に長けていることである。 抽象化とは、ある事象とべつの事象との関係性を見つけたり、グルーピングすることである。 これを助けているのは言葉と数字である。 言葉がなければ僕たちは物理的に殴るとか吠えるとか、動物的な行動しかできなくなる。同様に数字がなければ、通貨だとか、エネルギー量だとかを定量的に測ることができない。 また、具体的な事象を抽象化することで、目の前の事象を、遠くの事象に応用することもできる。

このように抽象には素晴らしい力がある。 しかし、「君の話は抽象的すぎてよくわからない」といったようにネガティヴな表現として抽象が使われることが多い。 それはなぜかというと、具体はマジョリティであるからだ。

会社で考えると、構成員が増えるにつれてピラミッドの下の方が膨らんでくる。 そこにいる人たちは、現場で作業をしている人たちであり、コードを書いたり、ミーティングの議事録を書いたり、営業のためクライアント先を訪問したりしている。 これらは具体的な行動である。そして、組織経営するうえで大事になるのが、彼ら大勢には「わかりやすく」どう作業したらいいか教えるということだ。そう、具体的であることはすなわちわかりやすいということであり、この便益を得るのが組織の大多数の人たちなのだ。わかりやすくて、量が多い、それが具体の力であり、だからこそ市民権を得やすい。

だからといって全てを具体的にすればよいかというと、そんなことはない。

たとえば、経営者や役員のレベルになると仕事のほとんどが抽象のものになる。これをやれば正解というものはなく、ひらめきや経験に裏打ちされた意思決定をする必要がある。

具体的であることは、量が多いので、取捨選択のための労力が必要なのだ。 スピード感が求められる状況で具体のフェーズにとどまって、森を見ずに木を見るようなことをしていては、とてもじゃないが競合に置いていかれてしまう。

このように具体と抽象では、それぞれ求められるアクションがことなり、これが誘因となって人間同士の議論が白熱してしまう。

たとえば、「ユーザーの声を聞きすぎてはいけはい」と「ユーザーの声に耳を傾けるべきだ」という主張は一見対立しているようだけれど対立していない。 ただ、抽象と具体のフェーズが違うだけなのだ。 つまり、具体のレベルでは「自分たちの頭の中の考えに執着しすぎないようにユーザーにヒアリングするべきだ」と思っていて、抽象のレベルでは、「ユーザーが言うことの多くは瑣末な機能についてのことが多いので、それに一々反応していたらきりが無い。ユーザーが言語化できてないけど潜在的な需要を汲み取ってデザインするべきだ」と思っているだけなのだ。

このように一人の人であっても抽象のフェーズによって、一見ぶれているように感じることがある。だから、大事なのは相手はどのフェーズの話をしているのか汲み取ることである。

そのためには、具体と抽象のフェーズを行き来させることが必要なのだ!!!! これをもって初めて相手と建設的な会話ができるのでは無いかと感じた。

具体と抽象

具体と抽象